こんにちは(^^♪
今回の話は宗教の話もしますので若干センシティブですが、私は特定の宗教を良くも悪くも言ってるわけではないのでご注意ください。あとスピリチュアルや信仰の話かと思いきや、俯瞰的に見たすごく合理的な話なのでよろしく。
そもそも私は熱心なネコ教の信者ですので、ネコを神とし崇め奉っている人間なのでその辺ご了承ください。
先日、母を亡くしました私ですが、よく患者さん達に
「お父さんは大丈夫?」
と聞かれます。
父ももう72歳ですからね。猫三匹と一緒に住んでるとはいえ、一人暮らしなので色々心配されるのですが。
私はまあ大丈夫そうだと思っています。理由は父が教会というコミュニティに所属しているからです。
父は私が高校生くらいの時に突然クリスチャンになりましてね。それまで超仕事人間で、日曜日も仕事に行ってたような人が、突然日曜日は必ず教会に行くようになったんですよ。
キリストの教えはさておいて、父を見てると
「教会ってめっちゃ優秀なコミュニティ!」
って思うんですよね。
とりあえず毎週日曜日は礼拝に行くじゃないですか、そこでいつも来ている老若男女様々な人たちと「同じものを信じている」という繋がりをもてるわけですよ。
さらに水曜日は教会で囲碁教室が開催され、土曜日はハーモニカ教室でと、すごい楽しそうに行っているんですね。
やはり、歳をとって外に居場所がある人って元気です。それがないと家に籠ってテレビを見るだけの生活になってしまいますからね。
おそらく昔の日本にはこの役割をお寺が果たしたり、地域コミュニティが果たしたり、ちゃんと人が孤立しないネットワークが存在してたんでしょうね。でも社会が複雑化しすぎた結果、そういうコミュニティが失われて久しい。
だから父にとって毎週行く場所があるということは、私から見てもとても有難いことなんですね。家で父に急に何かあった場合、おそらく教会の人の方が早く気が付くんじゃないかなぁ。
父の行ってる調布の教会
また、悩みや不安があるなら神社に行けというアドバイスを聞きまして。
これは別に由緒正しき神社へ行けとか、なんかパワーが溢れてる神社とか、そんなんじゃなくて近くの神社でいいんです。
大事なのは、神様に自分の悩みや不安や罪悪感を吐き出すことです。
一人で抱えていたものを、神様と分かち合って半分肩代わりしてもらう。悩みをリリースする場所として神社はとっても有効です。
イメージと違いますが、経営者なんかはもれなく神社に詣でていると言いますしね。多分一人で決断をしなきゃいけない場面が多いから、神様に背中を押してもらいたいんじゃないですかね~。
よく私は、府中に行くときなんか大國魂神社に寄って、毒を吐き出させてもらっています。
あと忘れちゃいけない仏教ね。仏教勉強するとめっちゃ面白いっすよ。まあ仏教って宗教っていうか哲学だと私は思っているんですが。
もう仏教極めれば、悩み自体がありませんからね。てゆうか“自分”なんてないんですよ。国も家族もモノも、あなたも私もみんなフィクション!映画館で人生という映画を見ているようなもの、その境地が悟り!
釈迦は2500年も前に、苦しみだらけのインドで、苦しみから解放される方法を発明しました。それが悟りです。仏教がすごいのは、書物を残さなかった釈迦の代わりに、弟子たちが何百年に渡り悟りを解釈して、色んな方法で悟る方法を開発したことです。
その一つが禅であったり、お経であったり、問答であったり。これらは全部悟るための方法論です。
仏教が最強に難しいのは、上で書いた様に「悟りとは~~みたいな状態のこと」「自分なんてないこと」、と説明するのは簡単なんですよ。でも本当にその状態になれた人間と言うのは、ほんの一握り。仏教の歴史に名を残せるレベルです。あー悟りたいな~。
まあ悟りは無理でも、哲学としての仏教を勉強するとずいぶん心が軽くなりますよ。おすすめです。
この本めちゃくちゃ面白かったです。簡単な言葉で、例も現代風におきかえててあっという間に読めっちゃいました。
こうやって自身のために上手に神様に頼ったり、祈りの場を活用するのはとても日々のQOLをあげると思うんですよね。
心から信仰している人には怒られそうですが、
私は神様、及び宗教って
人が現世を少しでも皆で幸福に、穏やかに、精一杯楽しく生きるために発明した文化パッケージでありコミュニティであり教えであり技術であると思っているんですよね。
せっかく神様何でもありの日本に生まれたのですし、ちょっと歩けばお寺も神社も教会もあるんですから、色んな神様に上手に頼って心穏やかに人生を過ごしたいものです。行くだけなら無料ですしね。
何か心に重さを感じるのであれば、ちょっとそういう所に行ってみてはいかがでしょうか?