治療室ふうのブログ
府中市武蔵野台の長生治療室
心のお話

メメントモリ

こんにちは。

 

最近面白そうだなと思い、100年カレンダーというものを買いまして。

 

ちょっと見にくいんですけど、左下が1985年で私が生まれた年。

 

一番右上が2084年で、生きていれば私が100歳になる年まで一枚の紙に載っているんですよ。

 

こうして100年をビジュアルで見ると中々面白いですね。

 

ちなみに赤い丸の所が、2022年で私は37歳です。うーん、結構生きたと思ったけどまだまだ下の方ですね。改めて102歳まで生きた祖母の凄さよ…

 

まあこちらの記事で書きましたけど、祖母の世代の人たちより圧倒的に弱い身体の私たち世代は、そこまで生きるのは相当にまれだと思うのですが。

人生100年時代と言うけれどこんにちは。 今日のお話は私の主観が大いに入っているので、全部信じなくていいので適当に読み流してくだされ。 皆さんは...

 

私の身体じゃいいとこ75歳かなと思って生きてるんで、丁度人生の半分は過ぎたかなと。

 

 

青い丸が75歳です、2060年。うーん、まだあと半分もあるのか、いや半分しかないのか。

 

割とこうやって死ぬまでの道のりを想像する作業、けっこう私好きなんですよ。心がリセットされるといいますか。

 

何か辛いことがあっても、

「まあどんなに大変でも、後○○年で死ぬんだし」

とか

楽しい時は

「どんだけ楽しくても永遠には続かない。だからもっと今集中して楽しもう」

とか。

 

結構『死』っていう概念や言葉を、タブー視しちゃう人いますよね。もの凄く怖がってしまい、遠ざけて考えないようにしてる。うちの叔母がそうだったんですけど。

 

死って唯一生まれた時から決まっていることじゃないですか。人生何があろうとなかろうと、死ぬことだけは唯一絶対。

 

だったら絶対来るその時のことを普段から考えて、その時に至るまでの人生をどうしたいかって考えることはとても重要だと思うのです。

 

古代ローマでは、将軍が敵地から帰ってきて凱旋パレードを行う時に、その馬車に一緒に乗って、その将軍の耳元であることを囁く使用人がいたんですって。

 

それが『メメントモリ』

=「死を忘れるな」、です。

 

今日は絶頂かもしれないが、明日は死んでるかもしれない。そのことを忘れず調子に乗るんじゃないぞ。

っていう戒めを与える役の人がいたそうです。ちょっと怖い…

 

 

もう一つ『カルペ・デュエム』という言葉もあったそうです。

これは『花を摘め!』という意味で、「食べて飲んで陽気になろう、我々は明日死ぬから」というアドバイスだそうです。

 

庶民に広く伝わっていたのはこっちだったそうな。ですよねw。

 

 

時間と寿命は有限であるって、ついつい忘れちゃいますよね。今が永遠に続いてくれそうな。

 

でも有限だからこそ人生は楽しく、愛おしい。明日がないかもと思えば、人間頑張れるし、ものすごい力もだせる。

 

『死』を考えるのは、よく生きるためにとても大切な作業なんじゃないかと思う次第です。

 

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ではまた~。